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マグナカルタ(Magna Carta)

マグナカルタは世界で最も有名な書物の一つです。皆が法律に従うこという原理原則を規定したものであり、1215年に英国王ジョンに認められることになりました。今でも英国の憲法の要の一つです。

マグナカルタは、英国王ジョンによって発行されますが、当時は”The Charter of Runnymede"と呼ばれていました。英国王ジョンは悪名高い専制君主であり、1204年にフランスのノルマンディーを失ってからは、その領土を取り戻すべく、国民に対し多額の税金をかけることになります。高い課税に対し封建貴族(Baron)から反乱が起き、1215年、Runnymedeにおいて、封建貴族とジョンとの和解の結果、封建貴族からの要望された条件が、文書として記録され、それが現在のマグナカルタと呼ばれることになったわけです。つまり、マグナカルタは本来的には、封建貴族と英国王との和平条約だったのです。

教皇からは無効であると宣言されるなどしますが、ジョンの死後、貴族からの支援を必要とするヘンリー3世の下で、1216年には改訂されたものが発行され、マグナカルタは受け継がれていきます。1508年、マグナカルタは初めて印刷され、英国法での地位を強化していきます。17世紀には、エドワード・コークはマグナカルタを通じて、「法の支配」の原理を確立させ、1628年の権利の請願はマグナカルタに基づいて作成されます。マグナカルタは、王に対する抵抗を示す規範として、1649年の清教徒革命にも使用されることになります。このような新しい解釈を経て、マグナカルタは権利と自由を示す象徴とみなされるようになります。

17世紀には、マグナカルタは北米にも伝わり、米国植民地における様々な法律に使用されていきます。そして、1770年代には、英国王ジョージ3世は、法律を破った専制君主とみなされ、独立戦争が勃発するわけです。当然、独立憲章を作成した、トマス・ジェファーソンもマグナカルタに大きな影響を受けていました。なお、フランス革命は過去の憲章に基づく権利に主眼を置いていないことから、マグナカルタに至る歴史を持つ英国の革命とは違うと主張する英国人もいます。18世紀の英国においては、マグナカルタは一般国民にも広く普及され、議会が王に物申す根拠として使用されていたものが、国民が議会に対して物申す根拠へと発展します。

大英帝国時代は、マグナカルタは、文明化の建前の下、帝国主義を正当化するために使用されていました。しかし、同時にマグナカルタは、植民地支配を受けた人々にも影響を与え、彼らは権利を認めるように要求することになります。今日では、マグナカルタは英語と同様に英国の最大の輸出品であるとされおり、事実、マグナカルタは自由と法の支配と強く関連付けられ、世界人権宣言などの現代の文書も大きな影響を与え続けています。

以上のように、マグナカルタは、当初の条項の大部分が解釈変更されていますが、英国の首席裁判官 Binghamが書いているように、”The significance of Magna Carta lay not only in what it actually said, but in what later generations claimed and believed it had said."マグナカルタの重要性は、実際にそれが述べていたことにあるのではんく、のちの世代が(彼らが解釈したように)述べていたと信じたことにある。わけです。

なお、マグナカルタの1215年の原物は、4つ残っており、リンカーン大聖堂に1冊、ソールズベリー大聖堂に1冊、大英図書館に2冊のようです。

(参考)MAGA CARTA Law, Liberty, Legacy Exhibition Guide